ユンカース・カム・ヒア
という映画を見た。
あらすじ
野沢ひろみ(のざわひろみ)という小学6年生の女の子が主人公。
コマーシャルフィルム監督の父と、キャリアウーマンの母とのひとり娘。
忙しい両親を気遣って、わがままを言わないようないい子なのです。
そんなひろみの飼い犬ユンカースは、なんと言葉を話せます。
だけど、それはひろみとユンカースだけの秘密。(たまに街でもうっかり喋っちゃうんだけども)
そんなひろみは、一緒に住んでいる家庭教師で大学4年生の木村圭介さんに対し恋心を抱き始める。
そんな小さな青春に心を翻弄される中、帰宅した母から、
珍しく休暇が取れたのでディズニーランドに行かないかと提案される。
ひろみはちょっと、顔を明るくさせて考えた後に、今回は行かなくていいよとやんわりと断ってしまう。
行くなら父とも一緒に3人で行きたいから、と。
どこのアトラクションなら父母が楽しめるかを思いを巡らせていると、
母からこんな事を言われる『もし、パパとママが別れたら、ひろみどうする?』
珍しく寝ないで見れた!
大変失礼な感想かもしれないが、最近の私の集中力のなさは酷い。
一旦スマホを持つと、ネットサーフィンの達人といっていいぐらい波に乗りまくっている次第です、はい。
そんな私が、何故か集中して見てしまった映画なのだから、作品としてのポテンシャルがすごいのだろう。
大人の家庭教師への恋、
両親の離婚危機、
そして犬がしゃべる(自称、願いを3つだけ叶える犬)
というなんともありきたりな設定なんだけど、全部集中してみれてしまった。
その理由を考えてみる事にする。
アニメーターの演技力がすごい!
まあ、単純に作画がいいですよね、まず。
絵柄は、昔の道徳アニメみたいになんとも色気のない画風だし、特に目が小さくてその分演技を表現するのも難しいんだろうに、演技をちゃんとしてるんですね。
ユンカースを脅すシーン
これは映画冒頭の話なんだけど、ユンカースが町中でうかつに喋ってしまい、それをひろみが部屋で注意するシーンなんだけど、
「でも、そうはいかないわ」と言って振り返り肩越しにユンカースを見下ろすカット
ちょっとだけ部屋が暗くなってひろみの顔に下からハイライトが当たっているんですね。
これは、怖い話する時に、顔の下から懐中電灯を照らすようなもんで、これら怖い話をしますよ~、と視聴している人に伝えるギャグなのだ。
その後の、ユンカースを鞭で叩く仕草をするひろみの動きも凄い。
大人がやるような誇張した脅しを入れるような動きでなく、
腕を振り回して限界まで身体を捻ったり力を込めたりする、子供がよくやる自分の身体に遠慮がない動きなんです。
こういうシーンで作中大人びて見えるひろみの潜在的な幼さを表現しているんですね。
そしてソレに合わせて、ユンカースが怯えたり、後ろに飛び下がるのも、ちゃん犬の動きなんです。
この冒頭のシーンで、このアニメはストーリーだけでなく作画クオリティも大人が見るに耐えれるものという事が、ちゃんとわかるんですねえ。
勤務先での母とひろみのシーン
母が仕事で務めることになるサンフランシスコのホテルの話をしている時に、
「ねえ、向こうの副支配人になる人ねぇ、アーノルド・シュワルツェネッガーに似てるのよ。見てみたいでしょう。」
と問いかけると、ひろみが何かを察したのかポカンとした顔で母を見るカットが数秒入る。
すると、母の顔のカットに変わって、母の目がほんのちょっとだけ右に2度視線を逸らすんですね。
このシーンで、ちょっといい感じになっているかもしれない副支配人との関係を視聴者に感じさせてるんですよ!(力説)
これは、目に見える範囲の演技の話なんですけども。
作画以外にも
例えば、母が牛乳を飲んだ後の、コップに牛乳がうっすらと付着しているとか、細かい所に結構気を配ってますね。
あとは、母が帰宅して、ひろみに離婚するかも宣言をして、ひろみが部屋を出た後にやっとソファで伸びをする、肩をほぐす仕草をするシーン。
離婚話を娘に遂に話したと、肩の荷が降りた様子を表していたりする。
これは絵コンテ、監督の演技なのかな。
背景が水彩画タッチ!
背景が、繊細とは言えない水彩画タッチで、「あれ、これ公開当時、劇場のスクリーンの大きさに耐えられたのかな?」という感じはある。
シーンによっては、本当に手抜きなのかな?と思うようなとこをちょこちょこあるが、これは単純に経費削減なのか。
まあ、絵の雰囲気をそのまま映画に表現できるという、受ける印象の効果もあるし、あのクオリティで背景まで繊細にすると、押井守か今敏と似たりよったりになるからある種の差別化を狙っているのもあるかもしれない。
あ、でも、監督が佐藤順一さんだったわ。
確か、この監督「おジャ魔女どれみ」「美少女戦士セーラームーン」「ARIA」「プリンセスチュチュ」「STRANGE DAWN」をやってたし
どこかファンタジーでリアルよりではない世界観が好きなのかもしれない。
監督の趣味っつー事で解釈しとこう。
ネタバレで見どころを解説
この作品を通して、主人公のひろみにどこか余裕があるように感じられるように描いているということ。
(これは、高畑勲イズムなのか、主観一本筋にならないようにメタな視線で見れるようにする狙いなのかもしれない)
例えば、母から離婚したいと言われた時、離婚が決まった事を伝えられた時、家庭教師に失恋した時、
落ち込みはするんだけど「まあ、しょうがないかぁ…」という感じで言葉にも辛みがあまり感じられない。
でも、その訳は映画の後半で判明する。
家庭教師の圭介がひろみを心配して、家の廊下でひろみの母と会話するシーン「最後にひろみちゃんの泣き顔を見たのはいつですか」
いや、まあ、作中でもちょいちょい泣いてるシーンはあるんですけどね、ただそこにも余裕があるように感じてたんですよ。
大人になりきれない小学6年生の揺れる心
ひろみちゃんはいいとこのお嬢さんなんですね。
それで大人の男性に恋している。
だから大人のように振る舞うんだけど、心は大人でもないし
かといってお利口さんなもんだから、低学年の子供のようにわがまま言って泣き喚くほど馬鹿でもないんです。
自己コントロール能力があるんです。
寂しさをコントロールして自分で紛らわせる事ができる。
だけど、寂しさがゼロになるのとは違うんです。
どんなに感情を薄くして紛らわしても、寂しさは存在するんですよ。
家族の中で自分がお利口さんにすることは、自分のせいで夫婦仲が悪くなって欲しくなかったからなんですね。
でも、そんな日頃の努力も虚しく、母は父と離婚したいと告白してくる。
ひろみからすれば、「私はひとりでも平気だよ、だから家族3人仲良くして行こうね」という今までの両親への気遣いが水の泡になっているんですよ。
こんなん目に見えないストレスが無いはずんがないんですね。
でも、それを監督は、視聴者にも後半までわからせないようにしてるんです。
ひろみはただ単に考え方が大人びていてストレス耐性が強い子、そんな子として描いているんです。
前半から中盤まで泣くシーンは、ちゃんとひろみ自身が涙の説明を言葉でしているんですけど、その根底には言葉にできない感情にならない『漠然とした不安』があるんですよ。
それを人形劇なんかで代弁したりする。
「お母さん、行かないで」というのは、つまり
アーノルド・シュワルツェネッガー似の副支配人といい感じになるような私の知らないお母さんにならないで(離婚しないで、お母さんはお父さんと夫婦だから、「お母さん」なのに)
というひろみの等身大の心の声なんでしょう。
それを、物語のクライマックスになるまで、安っぽいカタルシスポイントを作らずに、感情をジワシワ弱火で煮込んでラストを迎えるから、作品自体の味わいがよくなるんでしょうよ。
ひろみ、このシーンで我慢してたんだろうな、とか思いを馳せてね。
あー良作だわ、これ。
今更、基礎情報
実はこの映画、TMN(T M NETWORK)の木根尚登さんの小説が原作なんですね。
ちなみに漫画版もあって、なぜか「山田太郎ものがたり」や「僕と彼女の×××」で有名な森永あいさんがコミカライズしているっぽい。
それが、NHK-FM放送 サウンド夢工房 のラジオドラマになって、
OVAでスピンオフ作品の「ユンカース・カム・ヒア メモリーズ・オブ・ユー」になって
1995年3月18日公開の『劇場版 ユンカース・カム・ヒア』に至りました。
劇場版は小説と内容は別のオリジナルストーリーなんだけど、
木根尚登さんの劇中歌「ホントの君 ウソの君」は物語にシンクロしていい曲なんですよね。
誰目線なのか、よくわからんけど。
ちなみに
ユンカースの声、古本新乃輔さんいい声なんだけど、
どうしても『くまのプー太郎』もこんな声だったなあ、とちょっと笑けてしまう私でした。
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