みなさん、ひとりで旅に出た経験はありますか?
観光とかじゃなくて、
自分を見つめ直すような、新しい自分を探すような旅。
今日は、そのことについて考えたいと思います。
そもそも世間的な意味での自分探しとは
・アイデンティティの確立や自己実現のための取り組みを意味する語。「自分らしさとは何か」を追究するための自己分析や、「自分は根本的に何を求めているのか」を追究するための自己啓発、夢を実現するための諸種の取り組みなどを含む概念として用いられる。
実用日本語表現辞典より
という感じの意味ですかね。
自分探し不要論
この問題について、
自分探し不要論者から言わせると、
・今、ここにいる自分を認めろ!
・現実逃避してんじゃねえ!
みたいな感じですよね。
確かに、おっしゃることは最もだと思います。
養老孟司なんかも、「自分なんかそこにあるんだから、探してどうするんだ」みたいな事を書いてたりしてましたし。
探すべきはなんなのか
それは、最近仕事中によく考える事があるんです。
私は人に言わせると、「人がイイ」部類の人間らしく、何かお願いされると特に断る理由が無いなら「イイっすよー」と言ってしまうタイプなんですね。(やる理由を考えるフシさえあるが)
つい勢いで答えて承諾してしまう時があるんです。
冷静に考えれば、「え?それ俺の仕事じゃなくね?」とか言うのもありますが、まず最初に肯んずるクセがあるというか。
そして、後で「なんであんな事人に頼むんだろう?自分の事は自分でやりゃあいいのに」と悶々としてしまう時が多いですね。
ただ、断る時は断るんですが
それは、自分に余裕が無いほど忙しい時なんです。
そりゃあ、本筋の仕事が忙しい時は、「今、ムリ!」と断って集中しますが、
おそらく、ここがミソなんです。
これが、「探している自分の核」なんじゃないでしょうか。
人によっては、忙しくても、余裕があっても、自分がやる必要の無いことはやらない人もいますよね。
それは、時間的なものばかりでなく、金銭的なものや、心理的なもの、毀誉褒貶によるもの、後は、反抗心によるものとか。
ですが、そういう人間関係の中で上手くやれる部分を切り離して、自分の行動の核心を捉えて、なるだけブレない事って意外と大事だと思うんです。
さしずめ私は、切羽詰まらないと自分の本音を考えない病とでも言えましょうか。
ブレないとは何か
私の友人に、とても面倒くさがりな人間が一人いる。
山登りやろう!と誘っても、「キツイからやめとく」とか、
カラオケ行こう!って誘っても「聞き手でいいなら…」とやんわり断るヤツがいるんですが、
彼が、大学を卒業して、就職が決まっておらずプー太郎の状態の時がありました。
バイトぐらいしろよ、と言うと、「バイトすると新卒扱いにならなくて、給料が安くなる」とかよくわからない理屈をこねて長い間バイトすらしておりませんでした。
ですが、彼は「世間体」とか「この歳でプーで恥ずかしい」とか「親に悪いかな」とかは考えていないようでした(少しはあったんでしょうけど)。
彼は、デザイン系の勉強をしており、好きなイラストを書いたり、フィギュアやプラモを作ったりしていました。
そして数年後、とある技術を必要とする新規会社に採用され、そこで培ったスキルで、現在は講師として働く傍ら、自営業として仕事を請け負って生活しています。
当時の私は、友人があんまり本気でやっているようには見えず、率直に言えば怠けているように見える部分もありました。
ですが、今思えば、切羽詰まって無くても自分の本音が見えていたのだと思います。
おそらく、『本音』は一貫していたのでしょう。
そして、今、仕事はどうなの?と聞くと、「一応、楽しいよ(笑)」と答えます。
一方、私も、デザイン系の短大を卒業しましたが、研究生をし、フリーターを半年ぐらいしていました。
親類の葬式で帰省した時に、地元の会社から「今、ひとり欠員してるよ、おいでよ」と勧誘され、『まあ、働かないよりいいか』と就職。
デザインとは、全く関係ない仕事に就職し配属された部署が肉体労働だったので汗を流して働いていました。
まあ、それはそれで感謝もあり、今考えると良かった事なのですが、あの時強い信念を持って人生を選択したのか、と言われればそうでもありません。
見つめるべき自分とは
自分とは2種類あると思います。
それは、
「リアクション(反応)する自分」と
「アクション(行動)する自分」です。
そしておそらく、自分探しをする人は、この「アクションする自分」を探しに行く目的を持った人って多いんじゃないか?という仮説を起てて考えています。
平々凡々と目的意識も無く世渡り上手にリアクションだけで生きていると、そんな事を考えることもなく、
自分はどうアクションしたいのかを考える能力が退化します。
必要以上に人生のリスク管理が行き届いていると、逆に人生において少しでもリスクのある事を行動から無意識に除外するようになると思うんです。
例えば、
・彼女を作るとその彼女に対して責任を取らなくちゃいけなくね?
・子供作ると今後20年は自由がなくなるよね?
・youtuberとか顔出しして危なくね?
とか言う、行動を必要以上に不安を感じる傾向が増えてくる。
「全部やってから考えろよ」と先人たちは言うでしょうが、それができないから困ってるんでしょうね。
しかし、切羽詰まった状況になると、人間が見えてきます。
そうなんです、実は、自分でその「切羽詰まった状況」を避ける事が上手になると、成長が止まるんです。
そして、そんな「切羽詰まった状況」を助けてくれる友人、知人が恵まれすぎていてもダメなんです。
時には失敗するとわかっている事に、頭から飛び込んで周囲からバカにされる様な経験も必要なんです。
だから独りで旅に出る
自分探しとは、単に平凡な自分を認められない現実逃避ではなく、
逆に、自分は切羽詰まったらどう行動をするのかと言う現実を知りたくて旅に出るんです。
でも、やっぱり今まで危険回避で生きてきた人間がいきなり
「バックパック一つでインド横断」とか「無人島で1ヶ月サバイバル生活」とかには中々手を出せない。
だから、中途半端な国内旅行で観光名所をフラフラして終わってしまいがち。
それを周りが見て、「自分探しで国内旅行…?意味あんの、それ?」となる。
それでも、今までした事の無いもんは無いんだから、挑戦っちゃあ挑戦なんですけどね。
例えば、田舎育ちが都会に行くと、それだけで情報量を処理できないんで。笑
大事なのは、はやり「助けてもらう人が隣にいない事」なんですね。
隣、っていうのがポイントですかね。
助けてもらう人と連絡手段は持っておかねばなりません。
セーフティネットを無闇に絶つと、それは無謀と言うものだと思うので。
独りでいろんな状況を対応する事により、自分で考えたり失敗したり、フォローしたりする能力と行動が生まれるんです。
切羽詰まった新鮮なリアクションの中で、普段はなんとなく見えなかった「好き嫌い」やら「意地」とか「情けない部分」とか「治らないクセ」をさらけ出して行く作業なんだと思います。
その、普段考えない部分を、浮き彫りにしていったものが自分の行動指針となるのではないでしょうか。
自分で自分の感受性を身体で知らなければ、何がしたいのかすらわからないままだと思うので。
つまり、私の「自分探しの旅」の定義は
『自分の本音を発掘する作業』
ですね。
でも、ほとんどの人が自分の本音をわかっている
そりゃあ、こんな事、やってる人は幼稚園からやってるんですわ。
というか、8割の人はこんな事、20歳まで生きる中で経験するし、
概ね部活のレギュラー争いとか高校受験とかで辛酸を舐めるんですね。
つまり、自分探し必要論者の方が少数派なんですよ。
自分を探さなくても、常に目の前に可能性に挑戦して行ってる人は、
ここに今までの選択によって切羽詰まった自分がおるねん!って感じ。
リアクションじゃなくて、アクションで生きていた人間なんです。
どんな人に自分探しが必要?
・人生の挑戦数が一般と比較して少ない人
・人生での目先の苦労回避スキルが高い人
・人生で接した人間量が圧倒的に少ない人
・空気を読むのが得意でなんとなく平和に生きている人
でしょうか。
特に「挑戦する」の意味さえわからない人は、必ず行った方がいいでしょう。
それだけ自分の人生に対して「疎い」のだと思います。
それはそれで不幸な事ではないんですが。
もちろん、他にも
・自分が住んでる地域だけでは知ることもできなかった職業探しとか、
・自分が一生住みたい街を探すとか、
・一生付き合える友人や恋人探し、
なんかもあるでしょうが、
ここでは、自分自身にフォーカスを当てて考えてみました。
コメント